この記事では「働く女性とジェンダー」をテーマとした新作ミュージカル脚本執筆に向けて、ジェンダー格差について私が調べたことを簡潔にまとめています。
今回は近世日本の男女とジェンダー格差についてみていきたいと思います。
今回は女性の権利が大きく変化した幕末から明治に着目して記事をお届けします。
【前回までの記事】
①「古代日本の男女 〜ジェンダー格差の始まり〜」はこちらから。
②「中世前期日本の男女 〜固定観念的「女性の幸せ」の萌芽〜」はこちらから。
③「中世後期日本の男女 〜性的に消費されはじめる女性たち〜」はこちらから。
④「近世日本の男女 〜従属させられた女性たち〜」はこちらから。
⑤「近世日本の男女 〜大奥という働く女性の拠り所〜」はこちらから。
尊王攘夷運動に参加した「烈女」「女丈夫」たち
尊王攘夷とは、天皇を尊ぶ「尊王」論と、外国勢力を追い払う「攘夷」論が結び付いた運動で、倒幕、そして明治維新のきっかけともいわれている運動ですが、
この運動に賛成したのは男性だけではありませんでした。
女性が政治に口出しすることは非難されていましたが、尊王運動にかかわる時は「烈婦」「烈女」、あっぱれ「女丈夫」と言われ、男性たちから賞賛されました。
しかし、そんな女性たちは、中年以上で、醜女であると、言い伝えの中では強調されます。
つまり、女ではあるが、性的魅力のない女で、むしろ「丈夫(強く勇ましい男)」の類であると定義されました。
ですが、たとえ同じ女性の発言や行動であっても、男性にとって都合が悪いものは「若くて美しい女」で、女の性的誘惑によって男性間の結束が揺らぐと警戒し「妖婦」「毒婦」とよび、
男にとって都合の良い時は、「中年以上の醜女で」まるで男のような「烈女」「女丈夫」だとよんだのです。
ですがもちろん「烈女」「女丈夫」が運動の中心に組み込まれることはなく、女の範疇を超えて関わろうとすれば「女は口を出すな」と排除されるだけでした。
解体された奥と、一掃された宮女の権利
”東京に首都を定めた明治政府は、近世の将軍家や大名家と異なり、政府(政治空間)と「家」の分離を原則としていました。それまではそれぞれの「家」の奥の構成員として一定の政治的役割を果たしてきた女性は、奥の解体によって、政治空間から排除されて行くことになりました(*2)”
しかし、江戸城が明治政府に受け渡され東京城となって、将軍に代わって天皇を入城させようとしたとき、ある問題が急浮上しました。
それまでの天皇の日常は、多くの宮中女官たちに囲まれて成立していたのです。
大奥よりは少ない人数だったそうですが、江戸幕府と同じように朝廷に務めた女性たちも公的存在として儀礼的側面を中心に政治に関与していました。
また、天皇と直接姿を見ながら言葉を交わせる人はとても少なく、外部の人間が天皇と会話をするためには、必ず「女房奉書」という女官を間に挟んで、文のやり取りをしなければなりませんでした。
そこで、当時「宮内大丞」という役職だった、薩摩藩出身の役人である吉井友実は、すべての女官を一度全員解雇します。吉井は その日の日記に、「天皇の命令が女房を通じて伝えられるというような数百年らいの『女権』が、この1日で一挙に解消されて愉快極まりない」と記しています。
“それまで、宮中の奥深く女官たちに囲まれて化粧をして暮らしてきた天皇を、国民の前に
姿を現す男性的な君主に変貌させる教育の必要性は、「君徳培養問題」といわれ、明治初年の政治路線の闘争ともからんで大きな問題となって”いたそうです。
男尊女卑じゃない!? 日本とアベコベ「文明国」との折り合い
権力を手にした志士たちが「文明開花」で国際社社会に入ろうとすると、また新たな問題にぶつかります。それは、日本とは何もかも反対に感じる西洋文明国の男女関係でした。
せっかく政治から女性を排除したのに、「婦人に参政権」を認めている国があったり、
なかでもレディー・ファーストの風習に驚いた人は多く、婦人を気遣いあれこれ世話をする外国人男性を見て、「妻や女中がやる仕事を夫がやっている!」と驚愕しました。
レディー・ファーストとは、文明国に女性の権利があったわけではなく、女性はか弱い存在であり、それを力ではなく理性的に守る男性こそ文明人(文明の男)の証であるという男尊女卑の理論のもとの行動です。しかし、当時の志士たちがその理論に気がつくのは後のことでした。
また、地位の高い男性以外は、妾を持つことについて多少の後ろめたさがあったそうなのですが、明治6年に「妾も家族の一員として戸籍に入れる」という制度ができて、妾を持つことが公に認められました。
しかし、西洋人から見れば「一夫一婦」は宗教上の大原則で、それを尊重しない人々は野蛮人だと判断していました。
そこで、”西洋は「文明」の仲間に入れて欲しければ、その価値基準を大筋で受け入れること、すなわち、政治体制等のみならず、ジェンダー・セクシュアリティ・システムを変更することを求め(*3)”ました。
そのような事柄によって、この頃から「一夫一婦」を守らず、「男が妾を持つこと」は「畜類」と同じだと非難されるようになります。
明治13年には「妾も家族の一員として戸籍に入れる」という制度も無くなっています。
「花魁」に代わる、新たな大スター「明治皇后」
江戸時代、華やかな女性といえば、吉原の「花魁」が挙げられます。花魁は、浮世絵、錦絵のスターでした。
公娼制度と言って、遊郭は幕府や藩に公認され、そこで行われた売買春による利益が幕府と藩に組み込まれていました。
遊郭制度は西洋から「人身売買」と見なされていました。
「人身売買」の容認と「文明国」は両立しえません。
そこで明治政府は、「遊女」を「娼婦」に貶め、福沢諭吉は「人類の最下等にして人間社会以外の業」と言い、価値観上で軽視をするような呼びかけをしました。
江戸までは、性的消費をされつつも「職業」のひとつとして捉えられていた「遊女」ですが、明治からは「遊女」は「畜類」や「道徳の破壊者」などと言われ、社会的に卑しい存在として扱われるようになります。
しかしながら、問題があったのは「遊女である女性」ではなく、”年貢や薬代のカタに娘を売るのが日常茶飯事となっており、それを「親への孝」だと少女に教え込んで、世の中全体が、つまり、カネが回っていたということで(*3)”す。
ところがそんな背景には全く手をつけず、遊女を卑下したり、娼妓解放令を出して「遊女が自分の意志で身体を売っている」というていにしたりしながら、公娼制度は1946年にGHQが廃止するまで続きます。
「花魁」の地位が地に落ちる一方で、錦絵に盛んに描かれるようになったのは、「明治皇后」の姿でした。
皇后は、女性の再教育の賜物であり、学はあるが「政治に口は挟まず」天皇を支え、幼少期から「女訓書」を徹底的に仕込まれた儒教の婦徳、婦言、婦容、婦功に基づき行動されました。
それこそ、明治政府が目指した女性の理想像でした。
そして皇后は「国母」として、明治の女性たちの模範として先頭に立ち、新たな時代のスタートして「女訓書」を近代日本の女子のテキストとして世に広めました。
女性の道を家庭に押し込んだ「教育勅語」
西洋に迫られ、「一夫一婦」を取り入れた明治政府ですが、国内では「一夫一婦は男女同権ということか」「男女同権にすると弊害が出る!」と論争が起こります。
そこで、彼らは「男女同権とは、男女が同じ権利を有するものではなく、男は外を務め財産を謀る(男子の権)、女は内をに在りて夫を助け家政を営む(女子の権)。従来通り外と内で同等の役割があるということが男女同権という意味だ」という論理を編み出し、この論争に決着をつけます。
「教育勅語」とは1890年(明治23年)に出された、教育の基本方針・国民道徳の基準を示した「明治天皇」の言葉ですが、その中に「夫婦相和し」という文言があります。
今の時代に私たちが「夫婦相和」という言葉を読むと、夫婦仲良くという意味かなと思いますが、実はこれには注釈がついており「夫へ妻が服従して逆らうことがないように」という意味だそうです。
そして、”女子には「外に出て生活の資を求め」るのではなく、「家に止まりて家政を整理」するように、「社会国家のために尽くす」などという大志などは抱かず、「夫を慰藉して持って後顧の優ならしむ」ことに専念するようにと、しっかり教えこ(*3)”み、
「女子教育」が、女性に「技芸学術」を教えつつも「良妻賢母」以外のあらぬ道に進まぬように、制度化されていきました。
「良妻賢母」とは、「近代の発明品」と主張されることがあります。
よき妻であること、良き母であることは夫と息子のための姿勢であり、幕末から近代にかけて発明され、明治以降、女性の模範として女子に教え込まれることになりました。
今回のまとめ
・明治政府によって「奥」や「宮中」で働いていた女性が全員解雇された
・文明国のレディー・ファーストの習慣や「一夫一妻」制に驚いた男性たちは、文明国が「男女同権」だと混乱した
・「男女同権とは、男は外で働き、女は内を収めるという男女同等の権利だ」という理論を生み出し、女性に学を与える目的を「家に止まりて家政を整理」することだと限定した
・それまで一つの職業として考えられていた「遊女」を人間外の存在だと卑下し、代わりに学はあるが「政治に口は挟まず」天皇を支え、幼少期から「女訓書」を徹底的に仕込まれた明治皇后が新たな時代のスターとなった
・明治天皇から「夫へ妻が服従して逆らうことがないように」という教育方針の勅令が発せられ、「良妻賢母」以外のあらぬ道に進まぬように、制度化された
以上が、「近代日本の男女 〜女性を家庭に押し込んだ明治維新〜」でした。
この記事は、主に以下の本を参考に書いています。直接引用した分には(*1)(*2)(*3)を記載しています。
・大槻書店「歴史を読み替える ジェンダーから見た日本史」久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編(*1)
・企画展示「性差の日本史2020」国立歴史博物館2020(*2)
・東京大学出版会「御一新とジェンダー」関口すみ子(*3)
【この記事について創造妄想トークをしているPodcastは以下のリンクから聞けます!】
【働く女性とジェンダー格差をテーマにした
新作ミュージカル「最果てのミューズ(仮)」
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