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②中世前期日本の男女 〜固定観念的「女性の幸せ」の萌芽〜



この記事では「働く女性とジェンダー」をテーマとした新作ミュージカル脚本執筆に向けて、ジェンダー格差について私が調べたことを簡潔にまとめています。

今回は中世前期日本の男女とジェンダー格差についてみていきたいと思います。

中世前期とは平安時代後期、鎌倉時代を指します。

前回の記事「古代日本の男女〜ジェンダー格差の始まり〜」はこちらから。



I 平安時代後期

身分の差と性差が紐づく


「官位よりすばらしいものがあるだろうか」

これは、清少納言が『枕草子』の中で、官位の高さが何にも勝る価値であると語った言葉です。古代日本で取り入れられた律令官僚制度、つまり身分の差が平安時代の宮廷内で定着していたことがわかります。


律令官僚制度は女性を公の場、政治・行政から排除するものでもありました。女性の仕事は天皇の私的空間がメインとなり、天皇のそばで仕える上級女性官人(女房)と、それぞれ特定の業務にあたる下級女性官人(女官)に編成されました。


下級女性官人が仕事で公の場、政治的空間に足を踏み入れると「取るに足らないものが幅をきかせている」と蔑まれることがあり、このことから一定以上の身分の女性が顔を醸しながら働くことを忌避する観念が生まれ「御簾(みす)」の中に籠るようになったそうです。


清少納言は加えて「男性は官位があがっていくにつれて社会的に重んじられていくが、女性はパッとしない」と言っています。当時、女性の高い官職・位階は限られたもので、このような昇進制度の男女差が、将来の男女の経済格差につながっていきます。



特例:「母」


平安時代前期9世紀以降、実質的に女帝はいなくなりますが、同時に天皇の生母が「国母」として尊重され大きな権限を持つようになりました。私が思うに、これは外祖父である「国母の父」が摂政の地位を獲得するために「母子の絆」を利用した結果であると思われます。ただし、国母には実質的な政治的権限がありました。)


同じ頃、史料のなかに、初めて性を売る女性が登場します。遊女と呼ばれるようになっていくこの女性たちの前身は専門歌人で宴会に参加し和歌を詠んでいました。

性を売るようになってからも、単に買春を行うだけでなく、流行の今様歌を取り入れたり、演奏しながら歌う芸能で、天皇や貴族の宴会に呼ばれるようになりました。


これらの芸能女性たちは決して軽視されておらず、上皇や貴族層の子どもをもうける場合も多くありました。たとえ遊女であっても、公家の子の母になれば特別な部屋を与えられて、従者もつきます。土地が分け与えられることもありました。


つまり、地位の高い夫の子供を産み、「母」になることで女性たちの権力が向上したのです。



【トピックス】

ジェンダー格差の表れは「貴族→武家→庶民」の順。


このブログは日本のジェンダー格差がいつからなぜ広まり、定着したのかを明らかにするために書いているのですが、この記事を書いていて難しいと思う大きなポイントが「タイムラグ」です。


公家や貴族が中国思想を取り入れてから、庶民に定着するまでに1世紀以上かかります。

したがって、貴族、武家、庶民の「常識」にずれが生じます。

貴族→武家→庶民の順に身分の差、ジェンダー格差が定着していくので「貴族の間では男尊女卑が常識になっていても、庶民の間ではそんなことはない、女性の権利はちゃんとある」という現象が起きます。

なので、わかりやすさのために「〇〇時代に〇〇」とタイトルをつけていますが、実際はその前後で緩やかに、上位から下位へ変動しているとご理解ください。



【トピックス】

女性の地位を貶める数々の仏教思想


日本に入ってきた仏教思想の中には、驚いてしまうほどの女性差別観がいくつもあります。


・「五障三従の罪」:女性は梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏身の5つになれないので、娘は父に従い、妻は夫に従い、夫が死んだ母は子ども(男子)に従うようにとする説


・「変成男子」:女性には「五障三従の罪」があるので、竜王の娘が男に変身してから成仏したとする説。


・「女身垢穢」:女性の体は男性の煩悩を惑わすので不浄だ、穢れているとする説・


・「血盆教」:出産や月経で血が流れるのは、女性が生前に悪行をして地獄に落ちたからだとする説。


・「産穢」:産婦、産婦がいる家を穢れているとする説。産婦の穢れは伝染すると言われ、聖職者や祭祀の前に、産室に入ること、産婦を見ること、逆に産婦に見られること、穢れが生じる家の食事をとることを禁じました。


これらの仏教思想は、最初はただの教義で、のちには女性に対して「救われたければ仏教を信仰するように」と信仰心を煽り、次第に男性を含む社会一般の人々の考え方に影響を及ぼしていきます。



Ⅱ 鎌倉時代

武家社会での女性の役割は「家」を繋ぎ、弔うこと


“貴族や武士の結婚は、婿取婚から嫁入婚へと次第に変化し、家父長的な「家」を形成しました。その「家」とは、選定の手続きをした嫡子が、父母の地位を継承し、物品を相続して、家業を営む場としての性格を持っていました。(*2)”


戦闘によって不安定な状況にさらされることの多い武士の家では、家の存続を図るために、一門、一族が集結し、婚姻による家族の新たな結びつきも重視されるようになりました。

女性は家同士を繋ぐ「妻」の立場は貴族とは異なって、重要な役割をはたしていました。


戦闘などで夫を亡くした妻には再婚するという選択肢もありましたが、出家して家にとどまる道を選んだ女性(後家)も多く、その理由のひとつが「妻は、一族の供養、夫の菩提を弔うべき」という仏教思想でした。



「後家」かつ「母」という立場で権力を持った北条政子


中世の家において、女性は夫の死後に家長として振る舞い、特に武家においては、公的にも家を代表する存在として、政治の表舞台に立つ女性もいました。


源頼朝の後家であり、実子である三代将軍実朝が暗殺された後、北条政子は幕府の運営を主導して、実質的な四代将軍として認識されていました。


北条政子といえば頼朝公のご恩は山よりも高く海よりも深い」と御家人たちを鼓舞した演説が有名ですが、この演説の際、政子は御簾の中に居たそうです。


ーーーー

しかし、これはあくまで夫の死後、息子の死後(または後見人)としてのポジションであり、女性は「地位の高い夫」を利用しない限り、政治的権力を得られなかったということです。



徐々に奪われていく女性の財産


”中世、特に鎌倉時代には、女性は独立した財産を持ち、親の財産を子どもに分割して相続する場合には、女性に地頭職(与えられた土地を管理・運営する職)が与えられることも珍しく(*2)”ありませんでした。


皇族も母や皇女、高い位につけなかった后に「院」という称号を与えて、荘園とそれを管理する権利を与えたり、

”庶民でも女性は同様に財産権を持ち、財産を譲る対象となり、また相続した土地を売却する権限を持っていました(*2)。”女性自らの財産を使って土地を購入することも一般的だったそうです。


しかし武家においては、早くも鎌倉後期、所有する領土の分散を防ぐなどの目的で、嫡子単独相続が広がりました。たとえ相続されたとしても、女性の相続所領は子孫に引き継げず、女性の死後は生家に返還する、そもそも女性には少ししか相続させない、全く相続させない、などの動きが進みました。


そして、のちの室町時代では、荘園は武士に横領され、荘園制は事実上崩壊しました。庶民においても、男性が一家を代表する形になり、少なくとも書面上では、女性が単独で財産を処分することができなくなっていきます。



「妻」や「母」になることが「女性の幸せ」に

平安時代後期の公家政権と変わらず、鎌倉幕府でも各国を収める守護(大名の前身)や幕府の役人は全て男性に限られたそうです。

したがって、清少納言が嘆いたように、この時代でも女性の個人的能力で高位の役職に就くことはできませんでした。それは女性が個人の能力だけでは自立できない社会です。


しかし親の財産を受け継ぐことも難しくなり、「地位の高い夫の妻や、その子供の母になること」だけが、女性の権利を得られるポジションとなります。


つまり「より良い男性に嫁ぐこと」「男性に選ばれる女性になること」が「女性の幸せ」だと思ってしまったり、それを娘に強要してしまう固定観念の形成につながっていくのです。




【トピックス】

より位の高い男性に選ばれるために。「化粧」そして「男色」


鎌倉中後期以降、遊女の一番の仕事は芸能ではなく売春となりました。価格は容姿と年齢に応じて決まっていたらしく、遊女の側は化粧によって自分をよく見せようと努力をしました。


一方で、女性を排除した貴族・武士の政治的空間では、男色関係が結ばれ、政治過程に大きな影響を与えたことが指摘されています。男色関係は、家長の地位をめぐる戦いに勝つためであったり、主従の絆を深めるためであったりしました。


従属関係を示すための「男色」

女性を不浄とする仏教寺院では、12歳から16歳の少年たち(稚児)に対し、絶対的服従と奉仕として男色を強要する僧侶もいました。


長い髪を束ねて化粧をし、その衣装も含めて女性と区別できない姿をさせられたりもしていましたが、それは女性の代わりではなく、神仏の化身であり、その性愛を神聖なものとする仏教儀礼すらあったそうです。



今回のまとめ

・高い地位の役職につけるのは男性だけとなり、低い地位の役職にしかつけない女性の賃金は減り、必然的に経済的格差が生まれ始める


・女性は「母」になること、「妻」になることで政治的に利用される存在になる


・仏教思想の浸透により、女性は穢れて劣った存在と扱われ、権利を父、夫、息子に奪われ、従属する存在になっていく


・女性は家族の財産も引き継げなくなり、より経済的に豊かな暮らしをしたいと思うと、結局、位の高いの男性に嫁いで「妻」となるか、その男性の子どもを産み「母」になるしか方法がなくなる。


・男女問わず、選ばれるために「性的魅力」を利用し、位の高い男性は自分の地位の高さを誇示するために「性的関係」を利用した。



以上が「中世前期日本の男女 〜固定観念的「女性の幸せ」の萌芽〜」でした。


次回は「中世後期日本の男女」はこちらから。

どうぞお楽しみに。



この記事は、主に以下の本を参考に書いています。直接引用した分には(*1)(*2)を記載しています。

・大槻書店「歴史を読み替える ジェンダーから見た日本史」久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編(*1)

・企画展示「性差の日本史2020」国立歴史博物館2020(*2)



【この記事について創造妄想トークをしているPodcastは以下のリンクから聞けます!】

今回は、男性同士の男色関係についてトークしています。




【働く女性とジェンダー格差をテーマにした

 新作ミュージカル「最果てのミューズ(仮)」

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